子どもの気持ちに寄り添えない大人たち

子どもの気持ちに寄り添えない教師が多い。 教師は多忙である。大勢の子どものうちの一人に多くの時間を割く暇はない。 今日一日が何事もなく終わることを祈っているだろう。 子ども相手だけではなく、親の相手もしなくてはならない。親は子どもより厄介な存在であるに違いない。何かあれば自分の子を守るために牙をむくのだから。 だからついつい、親側の気持ちにそった対応をとってしまう。親と子どもの気持ちが一致していればいいが、双方がリンクしているようでしていないことが多々ある。多くの子どもは親の意思に影響されて、思ってもないことでも親の言う方へ動いてしまう。 無理矢理学校へ連れていったときの、子どもが嫌がってるというのに親を労う教師の多さ。 子どもに話しかけるでもなく、親に「お母さんも大変でしたね」と声をかけるのでは子どもはやり切れない。子どもも必死で抵抗してるのに力で敵わず、さらには親が苦労しているんだと遠回しに否定され、クラスメイトに泣き面を晒す羽目になる。絶望の一日が始まるというのに「泣かずにきたらいいじゃない」とでも言いたそうな態度で教室に連行される。 「何が嫌なのか」「困ったことはなに?」そういわれ具体的な対処を求める教師も多いが、不登校が抱えるものはそれで解決するようなものではないのである。

不登校の受け止め方 今と昔

そんな中、当時不登校児というものはあまりいなかった。特に小学生では。
昔はとにかく「学校に戻せ」という風潮だったように感じる。
私の記憶上、私の気持ちに寄り添って「学校に行きたくないんだね、それでもいいよ」なんて言ってくれた教師はまずいない。ただ、小2の時のおじさん先生は私が泣きながら親に連れていかれたときに一度だけ「今日はうさぎを見て帰ってもいいよ」と言ってくれた。何十年経っても印象強く覚えている。そのとき私はすごく気分が落ち着いて、本当に親とうさぎを見て帰った。学校は嫌いだったけど、例えば頑張ってピーマン食べた達成感みたいな、すごく満足したのを覚えている。
現在は不登校への対応として少しの時間でも学校に来ればOKである所が多い。私の経験上これは非常にいいシステムだと思う。自分が少しでも頑張ったと思い、それでいて学校側も認めてくれているこの環境が自尊心を保つために良い作用をしていると思う。重度の不登校の場合は教師側から「今日は無理せず帰ってもいい」と逃げ道を提示してあげるだけで、本人の気持ちは軽くなると思う。スモールステップを繰り返すことで無理なく学校へ行くということを定着させることが大事だと思う。
私自身は小1~中1までは親に引きずられて、学校側も頑張って来てというスタンスだった。
非常につらかった。誰も受け止めてくれないのではもう学校、それどころか教師や親までもが大嫌いになってしまう。これで性格に歪みが発生してやがて修正が効かなくなってしまう。

田舎のスクールカウンセリング

 

私が子供の頃は、今みたいにスクールカウンセラーというシステムがなかった。
もしかしたら都会にはあったのかもしれないが、とりわけ田舎で学童すらなく、多くの子どもが学校まで片道30分以上かけていた地域なのでカウンセラーのカの字もなかった。
現在でも私の地域では臨床心理士じゃなくて学校の先生や市役所の相談員が代行していて、それでまかり通っている。カウンセリングの専門的な知識を持つ人がいないっていうのは、大げさにいったら無資格で医療行為をしているのと同じ意味ではないのか?
そのおかげで、かなりガラパゴス化している。風通しなんてあったもんじゃない。その地域の風土として強く根付いてしまっている。これでなんとかなってきたし、いいでしょ。みたいな。

私が思うにやはり臨床心理士として学んできた人のカウンセリングとと元々教師や公務員のカウンセリングでは根本的に何かが違う。どうしても話の返し方に教師視点・教科書のような視点が垣間見える。

不登校になりやすいタイプとなりやすい時期

真面目な子は不登校になりやすい

 不登校になる子どもっていうのは基本、真面目であることが多いです。

真面目で頑張り屋さんであるゆえに、疲れてしまう。

例えば、勉強が難しく、宿題ができなかった。
どうしよう。怒られる。不安だ。
休もう

明日はみんなの前で発表がある。
うまくできるか自信がない。不安だ。
休もう

こういうとき、真面目な不登校児は自分なりに練習を頑張っていたり、出来る限り勉強に追いつこうと深夜まで宿題をしていたり、陰ですごく頑張っています。
でも仕上げられなかったとき、休んでしまうと、頑張りは誰にも評価されません…。
これ、結構無気力になるんですよね。
途中まででも頑張ろうとしていたことを、だれかが褒めてあげてください。

何度やっても無駄に終わったという経験が積み重なると、なにもする気が起きなくなります。
心理学でいう、「学習性無力感」の出来上がりです。

 

やがて自分に期待が出来なくなる

 この状態が続くと、人間は「どうせやっても無駄だ」という気持ちになって、少し努力すれば出来るはずのことも出来なくなっていくのです。
私はこれがニート・引きこもりにつながると考えています。

 

不登校になりやすい時期

 これは決まって、連休明けです。

  1. GW明け
    これは4月から新学期になり、緊張感もあって頑張っていたものが、連休を挟むことで我慢の糸が切れます。
    夏休みまで連休がないのも憂鬱な気分を誘発しますね。
  2. 夏休み明け
    ここもかなりしんどいです。
    大量の宿題が終わらなかったり、楽しかった夏休みが終わってしまった絶望から行かない子が続出。
  3. 10月・11月ごろ~冬
    連休明けではないですが、寒くなってくる時期も危険ですね。
    朝起きられなくなったり、動きが鈍ります。
    季節性のうつもあるくらいですから、冬というのは家から出たくなくなる時期です。

あと、高校生に多いのが、進学校に合格したはいいものの、勉強についていけないことがつらくなって学校を休みがちになる子。

中学まではわりと学年上位にいた子たちが、進学校へ進んだけどもそこにはもっと頭のいい子たちがいて…。中学時代に培ってきたプライドがへし折られ、思い通りにならない現実、理想の自分と現実の自分のギャップに苦しみ、荒れてしまう子、精神を病む子もいます。

折角進学校に入ったのに、卒業出来なかったら意味がないですからね。このケースは本人が最も悩むことになると思います。

義務教育を放棄した人間の末路

義務教育とはなんぞや

文部科学省によりますと、

国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う

 とあります。

大人は子どもに9年間の教育を受けさせてくださいね。ということです。

 

9年。

長いですね。

 

私はその9年間、いわゆる不登校でした。

 

不登校の定義

文部科学省では、不登校

何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しない、あるいはしたくともできない状況にあるため年間30日以上欠席したもののうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの

としています。

30日以上休んでても、病気で学校に行けない子、お金がなくて学校に行けない子は不登校ではないですよ。それは仕方がないことです。

 

ちなみに、我が家は貧乏ではありませんでした。

(私の体はちょっと弱かったけど)

つまり上記の、何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しない児童ということです。

 

私について

私の年表を軽く記入しておきましょう。

 

小学校 不登校

中学校 不登校

高校  通信制(3年で卒業)

大学  4年制(穏便に卒業)

 

見てください。

ちゃっかり大学に行ってます

高校から順風満帆な人生を送り始めたんですよ私。(通信だけど)

大学なんて行って。一人暮らししちゃって。

学校行ってなかったのがウソみたいに、単位を落とすこともなく卒業。

 

そんな人間の今

 さて、そんな私は現在どうなったかというと

 

フリーターです。

 

ああ、やっぱりね。

なんて思ったあなた。

 

やっぱりです。

 

でも別にいいのです。

あんなに学校に行かなかった私が非正規でも働いてるという事実。

それに私が一番感動しています。

 

なので現在不登校のみなさん。

安心してください。

 

学校行ってなくてもなんとかなりますから